作成日 : 2008-07-29 23:43|HIT : 4642
雑技 サーカス

(雑技: サーカス)は世界的な公演芸術で中国での歴史はもっとも悠久なだけでなく民族的特色も持っている。

中国での雑技芸術はかつて石器時代からその芽が出始めた。例えば現代雑技の舞台でよく見れる手技プログラムである "飛技板"は今まで知られた最初の雑技項目でそれは新石器時代に起源を置いている。

 あの時には原始部落の人々がいつも狩猟道具を使って獣類を捕ったが、 この道具は考古学者たちによって "飛去来器"だと称された。 狩人が獣類を見つけた後それを投げれば "飛去来器"はぐるぐると回りながら目標物を向けて飛ぶのに, 的中できなければ自動的にぐるぐると回りながら狩人の手で戻る。
この "飛去来器"は今でも相変らずアフリカ、オーストラリア、インドなどのある部落では使われている。その後 "飛去来器"を投擲する技術が専門的な雑記項目になったからそれがちょうど今の (飛技板)である。 以外にも(飛叉)、(拉弓)、(舞流星)、(馴獣)などがあるのに皆上古時代にさかのぼることができる。
 
あの時の雑記萌芽は原始人類の労動と密接な関係を結んでいた。雑技が中国で一つの独立された公演芸術の一領域になったことは春秋時代に始まる。あの時に各地で(力士挙鼎)(侏儒爬杆)(闘鶏狗)(球上塁球)(口技)などのようないくつかの雑技の公演項目が出現した。

秦始皇が中国を統一した以後に六国の雑技と歌舞などの芸人らを咸陽に集めて統括して(角抵俳優之戯)"だと言った。
漢代に至って経済文化の繁栄と共に雑技芸術も高まった. あの時には楽舞と雑技を包括して(百戯)だと呼び、宮廷貴族から一般民に至るまで皆(百戯)公演を見物するのが流行った。

四書の記録によれば、B.C. 108年春に漢武帝が西域の各国使臣たちを招待して長安(百戯)公演を開いたと記録されている。その時に公演した項目では (角抵:相撲)、(爬竿:竿に登る)、(走大繩:繩の上を歩く)、(弄丸: 球の妙技)、(鑽火圏: 火の圏を潜り抜ける)、(倒立: 逆立ち)、(車戯: 自転車妙技)、(馬戯:馬を使った馬上での技)、(幻術:マジック)などがあったがその種類が非常に豊かで多様だった。

1954年山東沂南の東漢時代の古墳発掘の中には石に刻んだ (百戯図)が発見されたが, 絵は漢代の雑技公演の賑やかな場面を非常に動感ありげに再現した。これは漢代に中国の雑技がよほど高い水準に到逹したし成熟した公演芸術の一つとして歴史の舞台に登場して繁栄の段階に入ったということを言ってくれる。

中国の雑技は民間で起源し宮廷に流入されて興盛を享受した。
宋代から戯劇の興起でよって雑技が宮廷で占める地位も衰落し始めた。
芸能人たちも徐徐に自ら生計を捜す民間芸能人に転落して普通(勾欄)(瓦舍)"や村の路地でばかり公演した. このような新しい環境で雑技は小さくて精巧な形式たちがたくさん出現した。

近代に至るまで中国の雑技は基本的に小規模で多様な方向に発展した。 雑技芸能人の地位は特に近代に行くほど低くなって大多数は伎芸を売って生計を引き続いた。
非常に困窮した境遇でも雑技芸能人達は新項目をたくさん創造したが、古代の優秀な項目も残念ながらで消えたのも多い。

新中国成立以後に中国の雑技は新しく復興した。1950年最初の国家雑技団である中国雑技団が設立された。中国雑技団は新中国の雑技芸術を代表してヨーロッパ各国を巡回して外国観衆の熱烈な歓迎を受けた。
その後に中国の各省市でも雑技団が相次いで設立された。その中で比較的早く設立されて今日に至るまでその名声を揚げている雑技団では上海雑技団、広州雑技団、武漢雑技団、重慶雑技団、 沈陽雑技団、西安雑技団などがある。
 今中国には県級以上の専門雑技団が100余個があって雑技関係者は 1万名余に至る。

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