作成日 : 2008-12-26 22:07|HIT : 6369
平民総理-温家宝

平民総理-温家宝


(温家宝: ウェン・チアパオ,Wト渡 Jiト|ヌ姉 1942.9~)は天津市 出身で1965年 4月中国共産党に入党した。現在中国共産党中央政治局常務委員, 国務院総理を歴任している。
1960年北京地質大学地質鉱山系列(地質測量及び探査専攻)に入学して 1965年卒業した。 1965年から 1968年まで北京地質大学大学院で地質構造学を専攻した。 1968年から 1978年まで甘粛省地質国技術員, 政治幹事, 地質局政治処責任者を勤めた。
1978年から 1979年まで甘粛省地質局で地質局党委員会常務委員、地質鉱山部副部長などを歴任。

1981年から 1982年まで甘粛省地質国副局長を歴任。

1982年から 1983年まで地質鉱山部政策法規研究室主任、 党組織副書記を歴任。

1983年から 1985年まで地質鉱山部副部長、 党組織書記、党組織部書記兼政治部主任を歴任。
1985年から1986年まで中央はん公聴祝義なのを歴任。
1986年から 1987年まで中央蜉梃ョ主任を歴任。
1987年から 1992年まで中央書記処候補書記兼中央蜉梃ョ主任, 中央直属機関労動運動委員会書記を歴任。
1992年から 1993年まで中央政治局候補委員, 中央書記処書記、中央蜉梃ョ主任、中央直属機関労動運動委員会書記を歴任。
1993年から 1997年まで中央政治局候補委員, 中央書記処書記を歴任。
1997年から 1998年まで中央政治局委員、中央書記処書記を歴任。
1998年から2002年まで中央政治局常務委員, 国務院副総理, 党組織成員, 中央金融労動運動委員会書記を歴任。
2003年 3月国務院総理に任命された。
中国共産党第13期中央委員、中央書記処候補書記、 14期中央委員、 中央政治局候補委員、 中央書記処書記、15期中央委員、中央政治局委員, 中央書記処書記、16期中央委員、中央政治局常務委員である。


【国務院総理温家宝】
 2003年3月の全人代において、温家宝が引退した朱髟賦薰フ後任として、第6代の総理に選出された(歴代の総理は、周恩来、華国鋒、趙紫陽、李鵬、朱鎔基)。香港では温家宝を「三朝不倒」と呼ぶ。
 すなわち、温家宝はこれまでに、胡耀邦、趨紫陽そして江沢民の3人の総書記のもとで、中央弁公庁主任を勤めた1989年6月の天安門事件の際、当時の趙紫陽総書記(天安門事件で失脚、現在84歳、北京市内に幽閉中)とともに、バス内でハンガーストライキを行っていた学生を見舞った温家宝の写真が鮮明に残っている。
 中央弁公庁主任として、総書記趙紫陽の失脚に連座する可能性があるとみるむきが多かったことも事実である。しかし、失脚どころか、これを契機により昇進することとなり、ついに総理まで上り詰めたのである。香港では、かつて、周恩来につけられたあだ名「不倒翁」を温家宝にも当てはめている。
 決して、倒れない人物(失脚しない)との意味であるが、反面では、世渡りがうまいとも椰喩されている。確かに、温家宝は中央弁公庁主任を7年勤め、この間、胡輝邦の失脚、天安門事件と超紫陽の失脚などを目の当たりにしており、政争の怖さを知り尽くしているといえる。そのことが、後の政治活動に大きく影響したものといえる。
 温家宝の経済政策に対する評価は、第一部で論述しているが、新政権で温家宝は胡錦満とのコンビを組んで、内外の諸問題に当たるわけで、二人はどのような関係になっていくのであろうか。一言でいえば、二人はライバルであると同時に、同僚でもあることから、両者に大きな確執が生まれることは少ないであろう。表をみてみよう。
 二人はおどろくはど、同じ歩みをしている。大学こそ異なるが、最初の赴任地は偶然にも同じ甘粛省である。二人の共通する上司が宋平(当時の第一書記、その後、組織部長などを経て、1989年には政治局常務委員として、江沢民を支える、すでに引退するも、16回党大会では引退長老幹部として、主席団に並び、丹念に報告書を読んでいた)であった。宋平は二人を鄧小平や胡耀邦に引き合わせており、二人にとっては、宋平との出会いがその後の運命を大きく左右したといえる。
 胡錦涛は1982年に12年ぶりに甘粛を離れ、共青団中央書記に転任となったが、温家宝も同じく、北京に戻り、中央弁公庁副主任に栄転した。温家宝はそのまま、北京にとどまり、長く中央弁公庁に勤務したが、胡錦涛は1985年には再び地方、しかも貴州省、チベットの内陸・貧困地域の書記に転任する。ここが、温家宝との大きな違いであるが、二人は1992年に再び、書記処書記として席を同じくする。その後の歩みはすでにみたとおりである。
 二人の共通点は経歴のみならず、指導者としての気質もやや似ている。すなわち、エリートではあるが、貧しい地方勤務を経験しており、おごりのないイメージである。また、清廉なところも似ており、親族や家族関係でもうわさがない。就任後の記者会見で、温家宝は出自について、「祖父、両親とも教員であり、普通の農村家庭に生まれた」と語っている。
 胡錦涛は故郷の安徽省に自らの石碑や学校への揮毫をしないようにしているといわれる。貴州省やチベットでは、くまなく省内を歩き、庶民の声に耳を傾けたと言われる。温家宝もこれまで、全国2500の県区のうち1800を回ったと会見で明らかにしている。党大会終了後、貴州省を訪問している。また、中国のマスメディアを通じて、1995年の大災害で発揮したことは鮮明である。内陸や貧困地域住民にとって、地方勤務経験者の両人にかける期待は大きいであろう。胡錦漆と温家宝には江沢民や朱鎔基とは異なった庶民宰相のイメージを期待したいところである。
        出所: 中国情報源


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