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中国文化


皇帝と御膳坊

7,656 2009.08.27 15:22

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北京の町にある"御膳料理"等の料理屋は著名な宮中料理店として宮中の豊富な料理らをお目見えしている。 だがこれは真の御膳の小さい部分に属するだけで全部をみな代表するのではない。

宮中"御膳坊"はきらびやかな紫禁城構成の部分として何百年以来に数多くの民間美食を集結して皇室家族に提供したし、時間が流れて宮中の御膳料理は民間にも伝えられて大衆的な料理に発展した。

紫禁城にいくらの"膳坊"があるのかの問いに対してはまだ正確な数値を統計できない。 皇室城内の大小の宮院には皆"膳坊"があったが後宮の王妃らだけでも8ヶの等級に分かれたし、食費は50両~100両間の互いに違う価格を現わした。 身分が低いほど"膳坊"規模もより一層小さかったし料理数も少なくて食器も金、銀、錫、陶磁器などに分かれた。
数多くの"膳坊"の中で最も大きいのは皇帝のために服務する"御膳坊"である。紫禁城には"内御膳坊"と"外御膳坊"二つがあったが"外御膳坊"は宴会に参加した大臣や要職らの食事を担当したし、"内御膳坊"は主に皇帝に提供する最高級の料理を担当する処であった。 その他"円明園""御花園"等の皇室庭園と熱河などの皇室別荘にも御膳坊があった。

帝王らの食事管理にはいくらの人々が従事したのだろうか? 正確な数値は分からないがただ紫禁城の"養心殿御膳坊"だけても何百名が仕事をしていたし、その他額外で料理人を募集する現象も少なくなかった。

すなわち某王府や大臣の家で作った料理がひとまず帝王らの寵愛を受けることになった場合は直接その料理人を宮中に迎えることができた。 宮中の御膳料理人は非常に多くて何年、何十年が過ぎても年1,2回程度しか料理を作ることができなかった料理人がしばしばだったし、一生の間に一度の機会も得なかった場合もあったという。

皇帝は至高無上な権威を持っていたのために皇帝の食事は普通の人々と比較できない位に飲む水迄よく選択しなければならなかった。 元代の時から皇族が飲む水は北京玉泉山で取ったが清代の時にきて玉泉山はほとんど宮中専門の水源になって毎日玉泉山と紫禁城の間は水を入れた馬車が途切れる事が無かった程である。

皇帝が食事するメニューには食事時間と地点,料理の名前などが書かれていてどんな料理はどんな食器に入れてどんな食卓上に置かなければならないかというなど詳しい内容も書かれている。 清代の乾隆帝など皇族らの食事は大部分"乾清宮","養心殿","洪徳殿"等所で行われたし、毎年祭事日には"斉宮"で小食をした。

"天子"は死を最も恐れたので料理人、太監などの人々は色々過程を経て選抜するが皇帝など皇族は相変らず警戒心を持っている。 食物中に毒を入れるのを防止するために皇帝はいつも"食物味見"等方法を採用して皇帝が食事する前に后妃らに御膳料理をプレゼントしたり太監らに先に味わうようにした後に皇帝が食べたという。 食べる時には銀器と象牙箸を使ったがやはり毒を検証する一つ方法であった。

"皇帝の一日のメニューは百人の国民が何年間食べる食べ物に該当した"という話がある。 皇帝の最も一般的な一食にも20種類の料理が提供された。 記載によれば乾隆帝のある日の朝食は"角砂糖ツバメの巣","鴨焼き"等19種類料理と"鴨おかゆ"等の主食が含まれたし夕食は"ツバメの巣鴨煮物"、"東坡肉"および后妃らにプレゼントした料理など総37種類を含んだと書かれている。 すなわち一日間の2度の食事にだけ総76種類料理が食卓に上がったのである。

毎度宮中宴会でのメニューは山海珍味を成し遂げたがある時には134種類料理と48種類の冷菜および各種デザートがあったし、清代末期に至って料理は200種類余りに達したという。
 
歴史の変化は数百年、数千年間山海珍味を作った御膳坊が富貴と栄華を享受した帝王と共に歴史によって埋められてしまうようになったし、直接皇帝の食事の責任を負った料理人とその後代も今日は何人しか見られなくなった。

 

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