作成日 : 2008-08-01 23:23|HIT : 14836
中国国名の由来

中国の公式国名は "中華人民共和国"である。 これは 1949年 10月 1日中華人民共和国の誕生といっしょに使われ始めて今に至る。

上古時代から黄河流域に都邑を建てた国々はいつも彼らが住む地域を "華夏"、"中夏"、"中華"、"中国"という名前で呼んで来たが、古代国家時代にこのような名称を公式的な国名で使ったことは一度もなかった。1911年 10月 10日辛亥革命の成功で立てられた "中華民国"でそういう名前を初めて国名に使い始めたのである。

≪書経・武成伝≫には官服の文彩が美しかったから「華」で、大国だったから 「夏」という(冕服采章曰華, 大国曰夏)というは記録があり ≪左氏伝・定十・疏≫には "盛大な礼楽制度を取り揃えたから「夏」、美しい服装を取り揃えたから 「華」である(中国有礼儀之大故称夏, 有服章之美謂之華)"という記録がある。

中国の古代国家たちは礼楽制度を重視したからそれはちょうど当時の文化を代表するものと言える。 したがってそういう礼楽制度に必要な美しい服装を具備していたということは文化を持っていたということを意味する。 なので "華夏"は文化を持った大国という意味になる。

そして "中"は四方の中央に位するという意味なので, "中華"は四方の中央に位した文化を持った民族を意味して "中夏"は四方の中央に位した大国と言う意味を持つ。
中国という言葉もずいぶん前の西周時代から使われられた用語である。 しかし初めにはこの言葉の意味がちょっと多様に使われたこともあった。
≪詩経≫では "首都"という意味で使われたりしたし、≪孟子≫では "帝王が住む所"と言う意味で使われた。
≪詩経 小雅 六月序≫ では "小雅盡廃、 則四夷交侵、 中国微笑"と言う記録があるように一番普遍的な概念で使われたことはやっぱり "中夏の国"という意味である。

以上で分かるように中国人たちは古代から自分たちの周辺国たちに対する文化的優越性を自慢していたから、 相対的に彼らの周辺四方にある国々を "四夷"と低めて呼んだ。 すなわち黄河流域を中心に、その東にある民族を "東夷", 西の方にある民族を "西戎", 南側にある民族を "南蛮", 北にある民族を "北狄"と呼びながら自らを誇示したのである。
実は初めには四方の中央というのも黄河流域に過ぎなかったが、悠久な歳月にかけて彼らの国境が徐徐に拡がりながらその意味も徐徐に世界の中央に拡がって行った。

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