中国歴史

明の時代

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鄭和の南海大遠征の時の巨艦・「宝船」洪武帝の死後、孫の建文帝が即位したが、洪武帝の四男である朱棣が反乱(靖難の変)を起こし、朱棣が永楽帝として皇帝になった。永楽帝は、モンゴルを攻撃するなど、積極的に対外進出を進めた。また、鄭和を南洋に派遣して、諸国に朝貢を求めた。この時の船が近年の研究によって長さ170m余、幅50m余という巨艦で、その約70年後の大航海時代の船の5倍から10倍近い船であったことが分かっている。

また、永楽帝によって現在に至るまで世界最大の宮殿である紫禁城が北京に築かれた。永楽帝の死後、財政事情もあって、明は海禁政策をとり、貿易を著しく制限することとなる。このとき永楽帝を引き継いで、鄭和のようにずっと積極的に海外へ進出していれば、ヨーロッパのアジア・アフリカ支配も実現しなかっただろうと多くの歴史家は推測する。その後、モンゴルが再び勢力を強めはじめ、1449年には皇帝がモンゴルの捕虜になるという事件(土木の変)まで起きた。同じ頃、中国南部沿岸には、倭寇と呼ばれる海上の無法者たちが襲撃を重ねていた。これは、海禁政策で貿易が自由にできなくなっていたためである。倭寇とモンゴルを併称して北虜南倭というが、北虜南倭は明を強く苦しめた。

紫禁城の中心、太和殿また、皇帝による贅沢や多額の軍事費用の負担は民衆に重税となって圧し掛かってきた。これに対し、各地で反乱がおき、その中で頭角をあらわした李自成が1644年に明を滅ぼした。

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